国道



 いつの間にか早瀬の休みに合わせて俺も休みを取るようになって。
 休みの前日はお泊まりになっていた。
 家族には適当なことを言ってるけど、恋人が出来たことくらいとっくに分かっているだろう。
 どんな人を想像しているかは知らないが。
 間違いなく家族の想像を裏切る自信がある。
 なぜなら。
「たけのこ?あー、もうそんな時期か」
 目の前で携帯片手に喋っているのは、男だから。
 しかも教習所に通っている時、俺の教官をしてくれた人だ。
 まさか男と付き合っているなんて考えもしないだろう。
「美味いもんなぁ。欲しいけど」
 たけのこか、春って感じだな。
 うちの食卓にも昨日乗っていたような気がする。
 ソファに座ってテレビを見ながらそんなことを思い出す。
「汐登君」
 早瀬は携帯を耳に押し当てたまま、俺の名前を呼んだ。
「車の運転する気ある?」
「ないことはないですけど…俺この辺の道全然知りませんよ」
「それは大丈夫。指示出すから」
 というか、走り慣れた道でもいちいち指示出してもらってるけど。
 なんせ教官だから、隣にいてもらうと安心する。
 いざとなればハンドル取ってもらえるし。
 もう免許取って五ヶ月近いけど、なかなか乗る機会がないから慣れないんだよな。
「んじゃ今から行く。ああ」
 早瀬は通話相手に行くことを告げている。
 どこに行くんだろ。遠いのかな。
 もう夜になってるから、あんまり交通の多いところは行きたくないんだけどなぁ。
「場所はね、こっから二十分くらいかかるトコなんだけど」
 通話を終えた早瀬さんは、さっそく場所を説明してくれる。
「二十分?遠くないですか?」
「県超えるしね」
「は!?」
 自慢じゃないが、運転してて県を超えたことなんかないぞ。
 早瀬の自宅は確かに県境が近いけど。でもこの辺りで運転したことないし。
 そもそも隣の県って。
「交通量多いんじゃないんですか?」
「もう夜だから、だいぶ落ち着いてるでしょ」
「それならいいんですけど…」
「ただ問題は交通量っていうよりねぇ」
 早瀬は意味深なことを言いながら、苦笑した。
 何だって言うんだ。



 早瀬の車に乗り込み、運転を開始してから五分。
 一度も見たことのない道路を睨み付けるようにして見ていた。
 赤いテールランプばかりで、ちょっと目が痛くなる。
 どうしてテールランプって赤なんだろ。注目しやすい色ではあるだろうけど、暗い道に赤い点がいっぱいあると、なんだか怖いんだけど。
「んー、もうちょっと出そうか」
 早瀬はいつも通り気怠く足を投げ出すようにして座っていた。
 リラックスしている。
 俺は掌に汗かいて、心の中で悲鳴上げてるっていうのに。
「早瀬さん…」
 アクセルを軽く踏みながら、俺は時々視界に入っては空しく消えていく速度表示を思い出した。
「ここって、四十ですよね…」
「そーだね」
「もう八十近く出してるんですけど!?」
 今現在走っているのは国道だった。
 通常の道路でこんな速度を出す機会はない。
 そして俺はこんな速度を出したのは高速の教習以来だった。あれだって、高速道路だからって思って、アクセルを踏んでいたのだ。
 それでもビビって仕方なかったけど。
「なんで隣の車線の車に次々追い抜かれてんですか!?」
 八十出しているというのに、すいすいと隣から車が追い越していく。
 丸いテールランプなんて、あっさりと姿を消したものだ。
 エンジンの音からして違っていたけど。あの人はあれだけのスピード出して怖くないのかな。
「四十とか書いてるけど、ここって大体八十から百でみんな走ってるんだよ」
 早瀬はさも当然のように言った。
 八十から百って、制限速度から離れすぎてるでしょうが。
 いつからそんな無謀な道路になったんだよ。
「四十なんかで走ると邪魔で、後ろからクラクション鳴らされるね」
「最悪だ!」
「ほらー、教習でも言ったでしょ?交通の流れを妨げていけませんって」
「言ってましたね…」
 確かに言われたし、実習中でも言われたことがあるよ。
 だからこうしてアクセルもちゃんと踏んでる。
 でも怖いもんは怖いんだよ!
「右寄ってるよー」
 どうやら右に寄る癖が出てしまっていたらしい。
 ハンドルを微妙に調節して直そうとするんだけど、速度の速さになれていなくて、つい車体がふらついた。
「ぐーあー」
 早瀬の手が少し伸びてきたけど、掴まれる前に立て直す。
 初心者とはいえ、ちゃんと教習所は卒業したんだからこれくらいは自力で出来る。
 てか、全部自分で出来て当たり前なんだけど。
「ビビってんねぇ〜」
 早瀬は隣ににやにや笑い始めた。
 この人…初心者のふらついた運転に自分の命も乗せてるって分かってんのかな…。
「こんな速度で走ったの、高速以来ですから」
「あー、あの時もかなり緊張してたよね」
 生死をかけて走っていたのだ、そりゃ緊張もある。
 あの時は早瀬も少し緊張してたからなぁ。つられたのもある。
 いつもはのんびり気楽にしている教官が、真剣になるくらい危ない教習なんだと。
 その高速教習並のスピードを今要求されている。
「それと同じような気持ちです」
「俺の命はやっぱり汐登君が握ってるんだよ。頑張ってねー」
「何を頑張れって言うんですか!?」
 車体がふらつかないようにするだけで精一杯なのに!
「あ、次車線変更ね」
「いーやー…」
 こんな速度で車線なんて変更したくない。
「このままだったら変えにくいから、ちょっと踏んで」
「まだ踏むんですか!?」
「百キロまでは大丈夫だから」
「ここって高速じゃありませんよね!?」
「警察いないから大丈夫だって」
 俺が言いたいのはそんな問題じゃないんですけど。



 目的地に着いて路上に車を止めた頃には、もうぐったりしていた。
 早瀬は知り合いのところにたけのこをもらいに行き、俺は運転席で仰け反るようにして溜息をついていた。
 もう運転したくねー。
「…助手席に移っとこ」
 こうしておけば、早瀬が帰りは運転してくれることだろう。
 運転は慣れなきゃ駄目だって言うけど、ちょっと疲れた。
 県を超えると交通量より、車の速度が明らかに変わってくる。
 高速じゃないっての。
 もっと落ち着いていこーよ。と言いたくなった。
 こんなスピードも、いつかは当たり前になるんだろうか。
「うー…」
 助手席に座り直し、俺は目を閉じた。
 まぶたの裏で赤いテールランプがちかちかしている。
 この光ばっか凝視してたからなぁ。焼き付いたよ。
「帰り運転しないの?」
 突然ドアが開けられて、ビニール袋を片手に下げた早瀬が帰ってきた。
 煮物のいい香りが漂ってくる。
 たけのこの煮付けらしい。
「勘弁して下さい。疲れました」
 情けない声で訴えると、早瀬さんが笑う。
「恐がりだもんねぇ」
 楽しそうにそう言うと助手席のドアを閉めて、車の前方と後方についている初心者マーク取り外している。
 俺が先に取っておけば良かった。
 気が利かないよなぁ…。
 早瀬は運転席に座るとすぐにエンジンをかけた。
「ホラー映画借りてきたら怒るし」
「うるさいから嫌いなんです」
 ホラー映画っていうのは、どうしてああも静かな場面からいきなりうるさくなるんだろう。
 確かに驚くけど、怖いって感じるより先にうるさいって感じて苛々してくる。
 画面よりも音にびっくりするんだよな。
「うるさいだけ?」
 早瀬は笑ったまま、車をなめらかに発進させた。
 やっぱりこの人が運転したほうがずっとスムーズだ。
 俺よりスピード出して走ってるのに、車体は安定したままで抵抗感を一切感じさせない。
 さすが教官。
「そうです。別に怖いから怒ったわけじゃありません」
「じゃあ今度音量下げて見てみる?」
「音量下げたって、いきなり音が大きくなることに変わりないでしょうが。あの差が嫌いなんです」
 冷静に説明してるのに、早瀬は信じてないみたいだ。
 ずっと目が弓の形になってる。
 やな人だな。
 この前「ホラーは見ません!」って言い切ったのを気にしてんだろうな。
 笑いのネタにしなくてもいいだろうが。
 俺が心の中で泣いた国道に入っても、早瀬は笑い顔を消さない。
 ちらりと運転席を見ると、速度表示が八十五を示していた。
 わー…平気で八十五出してるよ。そりゃこの人にとっては珍しくないんだろうけど。
 俺はあんなに頑張って踏んだのになぁ。
「ホラーだけじゃなくてさ」
「はい」
「入れるときも怖がるでしょ、汐登君」
「はい?」
 何を入れる時ですか?と聞くと、早瀬が吹いた。
 それくらいは察してくれって雰囲気だった。
 でも主語を抜かされた上に話題がいきなり変わったんだから、分からなくても仕方ないだろうが。
「えっちの最中」
「………俺が運転中じゃなくて良かったですね」
「君が運転してたら絶対言わない」
 でしょうね。
 そんな突拍子もないこと言われたら、下手すると急ブレーキ踏んで大事故になってるよ。
 どうしてこの人は、何でもない時にいきなりそんなネタを出してくるんだろう。
 俺よりずっと年上で、いい年してんのによくサカるんだよな。
 いい加減落ち着く年だろうが!って怒鳴るんだけど、回数も減らさない。
 おかげで若いはずのこっちが先にばてる。
 色んな意味で屈辱なのだが、へとへとになると早瀬が色々世話を焼こうとしてくれるので、怒りはすぐに収まってしまう。
 それを知っていてやっているのなら、たちが悪い。
 まあ、この人は出逢った時からたちが悪い人種だったけど。
「毎回怖くないって言ってんのに、がちがちになるし」
「一回入れられたら分かりますよ、あの感覚」
 入れてばっかりの人は分からないでしょうよ、と俺は悪態をつく。
 自分以外の何かが入ってくる。しかも排泄しか知らないはずの器官に負荷を欠けて。
 裂ける裂けない、痛い痛くない、という問題じゃなかったりする。
 内蔵掻き回される錯覚まで覚えるんだから、相当きつい。
 けどそれもすぐに感じなくなるんだけどな。
 人間って快楽に弱い生き物だ。
「でもヨさそうにしてるけど」
「そうなるまでが辛いんですよ」
「最近はすぐじゃない」
 早瀬にさらりとそう言われ、思わず記憶を探ってしまう。
 相手に分かるくらい、顕著なんだろうか。
 最中は結構必死だから、早瀬の表情なんてはっきり見られないしなぁ。
「分からない?」
「はい」
「んじゃ帰って教えてあげよっか」
 にっこりと、優しげに笑った早瀬の横っ面を殴ってやろうかと思った。
 教えるの何も、泊まりの日は必ずと言っていいほどヤってんだから白々しいこと言うな。
「結構です」
 冷たく言い放ちながら、俺は助手席から外を眺めた。
 安定した走りの車。
 流れていく電飾の街。
 座るべきは運転の上手い恋人の助手席だな。
 そうしみじみ感じた。




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